わたしたちの信仰
1. わたしたちは、聖書は一語一語が聖霊によって息吹かれた神の完全な啓示であることを信じます。
2. わたしたちは、神は唯一であり、永遠から永遠に至るまで同時同存される三一の神(父、子、その霊)であることを信じます。
3. わたしたちは、神の御子、すなわち神ご自身が、わたしたちの贖い主、また救い主となられるため、処女マリヤから生まれ、イエスという名によってひとりの人となられたことを信じます。
4. わたしたちは、真正な人、イエスがこの地上で三十三年半の間、生活されたこと、それは人々に父なる神を知らせるためであったことを信じます。
5. わたしたちは、イエス、すなわち神によってその霊で油塗られたキリストが、わたしたちのもろもろの罪のために十字架の上で死なれ、わたしたちの贖いの成就のために彼の血を流されたことを信じます。
6. わたしたちは、イエス・キリストが三日間葬られていた後、死人の中から肉体的にも霊的にも復活されたこと、そして復活の中で彼は命を与える霊となられたこと、それはわたしたちの命、またわたしたちのすべてとして、わたしたちの中へとご自身を分与し込むためであることを信じます。
7. わたしたちは、キリストが復活の後、もろもろの天に昇られたこと、そうして神は彼を万物の主とされたことを信じます。
8. わたしたちは、キリストが昇天の後、神のその霊を注ぎ出し、彼の選ばれたもろもろの肢体を一つからだの中へとバプテスマし込まれたこと、神の霊はキリストのその霊でもあって、この地上で今は罪人たちに罪を認めさせ、神の選びの民を再生し、キリストのもろもろの肢体の中に住まわれて、彼らを命の中で成長させ、キリストのからだを建て上げて、神の全き表現とするために活動しておられることを信じます。
9. わたしたちは、この時代の終わりにキリストが再び戻って来られて、彼のもろもろの肢体を携え上げ、この世を裁き、地を所有し、そして彼の永遠の王国を打ち建てられることを信じます。
10. わたしたちは、勝利を得た聖徒たちがキリストと共に千年王国で支配すること、またキリストを信じるすべての者が新天新地の新エルサレムで、永遠にわたって神の祝福にあずかることを信じます。
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わたしたちの立場
1. わたしたちは、伝統的な解釈にもよらず、純粋な神の言葉によって聖書の上に立ちます。
2. わたしたちは、生ける岩、礎の石、からだのかしら、そして教会の命と実際であるキリストの上に立ちます。
3. わたしたちは、分派ではなく、宗派でもなく、フリーグループでさえもなく、また超教派でもなく、キリストのからだの真正な一の上に立ちます。
4. わたしたちは、それぞれの地方におけるすべての信者たちは一つであるという立場に立ちます。それは血によって贖われ、その霊の再生を受けたキリストにある信者たちは、すべてそれぞれの都市における一つの地方教会の肢体であると認めます。
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わたしたちの伝道
1. わたしたちは、罪人たちが救われるために、恵みの福音と王国の福音(マタイによる福音書第4章23節、9章35節、24章14節、28章19−20節)とを宣べ伝えます。
2. わたしたちは、信者たちがキリストの中で成長するように、命を供給する務めを行ないます。
3. わたしたちは、それぞれの都市に教会を建造します。それは信者たちが実際的に地方におけるキリストの団体的表現となるためです。
4. わたしたちは、聖書から神の生きた豊かな言葉を解き放ちます。それは信者たちが養われて成長し、成熟するためです。
5. わたしたちは、キリストのからだを建造します。それは花嫁が花婿なるキリストの戻って来られる準備をするためです。
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わたしたちの望み
1. わたしたちは、神によって永遠の命へと定められているすべての者が主イエスを信じるに至ることを望みます。
2. わたしたちは、すべての再生されたクリスチャンが単に知識を増やすのではなく、命の成長を求めることを望みます。
3. わたしたちは、すべての追い求めるクリスチャンが教会のビジョンを見、彼らのいる地方で実際的な教会生活に入ってくることを望みます。
4. 私たちは主が、彼の花嫁を準備されるように残された勝利者の一団を得られることを望みます。
5. わたしたちは、主の再来が私たちの命の成長によって早められ、わたしたちが幸いな携え上げと来たるべき王国とにあずかることを望みます。
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主の回復に関して
わたしたち「地方の立場に立つ教会」の中の者たちは、神の「回復」のためにいます。「回復」の基本的な定義は、次の通りです。これは、わたしたちの証しを正確に理解するために必要です。
1. 回復という語は、失われていたあるものをもう一度獲得するとか、またあるものを正常な状態に戻すとかを意味します。「回復」は、損害または損失を被った後に正常な状態への復旧し、または復帰することを意味します。神がある事柄を回復しておられるということは、教会歴史の過程で、それが失われ、誤用され、腐敗させられたということです。そして、それを神が当初の状態、状況へと回復しておられるということを意味します。
2. 教会は数世紀にもわたる歴史を通して堕落してしまったので、神の当初の意図に従って回復される必要があります。教会に関してわたしたちが見たビジョンは、現在の状態や伝統的慣行には支配されません。神の当初の意図により、また神の御言葉の中に啓示されている不変の基準によって支配されています。わたしたちは、教会に関する新約聖書の啓示を単なる歴史上の事例とは考えません。現在の教会実行の規準と考えます。
3. 神の回復は二十世紀に始まったのではありません。開始の正確な日付を決定することは困難ですが、一応、カトリックの腐敗からの改革の時とすると便利です。回復は改革の時から数回の段階を経て発展しました。ジンゼンドルフ(Zinzendorf)が指導して、ボヘミアで教会生活が部分的に回復されました。プリマス・ブラザレン(Plymouth
Brethren)が、数多くの貴重な聖書真理を解明し、さらに内なる命の真正な経験へと進みました。今やキリストのからだの表現である真正な「地方の立場に立つ教会」の確立という段階に達しました。
4. 今日、主は彼の回復の中で二つの事を行なっておられます。キリストのもろもろの豊富な経験すなわち、わたしたちの命としての、またわたしたちのすべてとしてのキリストの享受の回復と、教会生活の実行とを回復しておられます。実際的教会生活は、キリストのもろもろの豊富の享受から流れ出ます。主の回復の中にいるわたしたちは、キリストが計り知ることのできない豊富であり、わたしたちの享受のためのすべてを含む方であることを証しします。そして、神の純粋な言葉の啓示に従って教会生活を実行する負担を、主がわたしたちに負わせてくださったことを証しします。
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救いに関して
1. キリストにあって神は人に完全無欠な救いを与えてくださいました。この完全な救いは私たちの全存在ー霊、魂、体を含みます。神の救いにおいて、人の霊は再生され、魂は造り変えられつつあり、体は栄光化されるでしょう。
2. 救われるために、人は神の御子イエス・キリストというお方と彼のみわざとの中に生きた信仰を持たなければなりません。真正に救われたあらゆる人は、聖書が「共通の信仰」(common
faith テトス1:4)と呼んでいるものを持っています。それは、わたしたちが救われるために信じなければならないものすべてを含んでいます。わたしたちは聖書が全く神の霊感による完全で神聖な啓示であることを信じなければなりません。すなわち唯一の三一の神―父、子、その霊―がおられること、イエス・キリストは人となるために受肉された神の御子であること、キリストはわたしたちのもろもろの罪のために十字架の上で死なれ、わたしたちの贖いのために血を流されたこと、三日目に肉体を持って死人の中から復活されたこと、彼は神の右に上げられて万物の主とされたこと、彼はご自身のものたちのために再び来られ、彼の王国を地上に打ち建てようとしておられることです。
3. 永遠の救いは信仰を通し恵みによります。私たちの働きによるのではありません。
4. 救われるために人はイエス・キリストと生きた接触を持たなければなりません。こういうわけで未信者を救いにもたらすことにおいて、私たちは祈りと主の御名を呼ぶことを強調します。ローマ人への手紙第十章九節と十節は、人が救われるのには心で信じ、口で言い表さなければならないと言っています。
5.
いったん人が救われると、彼は救いの確信と救いの保証との両方を持つでしょう。わたしたちはひとたび救われれば永遠に救われます。
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わたしたちの集会
わたしたちは祈り、賛美し、証しをし、御言葉を供給します。主日(日曜日)ごとにわたしたちは主の食卓を持ちますが、そこではすべての主の子供たちが歓迎され、一緒にパンと杯にあずかります。教会の諸集会は公開でありすべての信徒が自由に参加できます。
各集会のご案内
主日集会(日曜日)、祈り集会、追求集会、姉妹集会、初信者集会、福音集会、小組集会、家庭集会などがあります。他に全国的集会の全国特別集会(毎年5月、10月於東京)、全国聴障者特別集会(毎年1月、8月)などもあります。
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質 問
わたしたちの信仰と実行とに興味をもった人たちから、多くの質問が寄せられました。それらの質問のうちのいくつかを簡単な答えといっしょに下記に載せます。
1. あなたがたの教会の名称は何と言いますか。
地方教会は一つの名称を持ちません。わたしたちが保持し、あがめるただ一つの名は主イエス・キリストの御名だけです。何かほかの名称をとることは、彼を侮辱することです。「地方教会」という用語は一つの名称ではありません。それは教会の地方的性質と表現との記述です。すなわち一つの地方に在る教会(the
church)です。「地方教会」という語を大文字で印刷することは重大な誤りです。なぜなら、これはわたしたちの名称が「地方教会」でもあるのかという印象を与えるからです。月はどの地方で見られようとも単に月であるように、教会はその地方で建造されようともただ教会です。教会がエルサレムに設立されたとき、それは単にエルサレムに在る教会として知られました(使徒8:1)。またアンテオケではアンテオケに在る教会(使徒13:1)でした。同じように今日アナハイムに在る教会の実際的表現は、単にアナハイムに在る教会です。地方教会として、わたしたちは真正な一つの立場に立って主の御名の中で集まります。
2. だれがあなたがたの指導者ですか?
わたしたちのただひとりの指導者はキリストです。わたしたちにはどんな職務上の、永続な、組織化された人間的指導権も地位もありません。なおまたどんな教職階級制度も、世界を包括するひとりの指導者などもありません。わたしたちは何人をも、彼は絶対に間違いがないなどは考えませんし、だれにも盲目的には従いません。それどころがわたしたちは、その人の教えと実行とが神のことばの真理と一致している人たちにだけ従います。指導する人たちは聖徒たちの上に君臨するのではありません。むしろ愛の中で彼らの世話をするのです。同じように主に仕える人たちは教会を統制するのでなく、かえって生けるみことばの務めの中で、キリストのしもべとして彼らに仕えるのです。
3. あなたがたの本部はどこですか。
それぞれの地方教会は、その行政では自主的です。ですから中心的本部というものはありません。どの特殊な地方教会も、先頭に立つ教会とか指導的教会とか考えらるべきではありません。それどころか、すべての地方教会は主の御前で同じ立場にあずかっています。 (「地方教会の信仰と実行」 日本福音書房発行) |
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